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夏ボラに参加した子に聞いてみた

2002年6月27日 掲載


 ちょっと聞いてみただけなのに、思いもよらず、こんなに話をしてくれた。

 障害をもつ子どもを持つってのは、中途障害になるのと同じと思う。手話とか点字とかそのほか色々あるけど、中途障害が何で大変かというと、ちっちゃい子ほど覚えやすい、記憶力があるのに比べて、ある程度成長してから覚えるから、大変。障害を持つ子どもを持つということは、親になってからだから、二十歳こえてから、また覚えなくちゃいけなくて、中途障害と同じように大変。

 手話とか点字とかは、すごい覚えるの時間かかるし、手話だったら、ちょっと指の先の加減で意味が変わっちゃったりするじゃん。でも、パソコンだったら、指1本で文字なんか打てるし、障害をもっていない人なら買ってくれば使える。本を読んであげたいと思っても、耳が聞こえなかったら聞かせてあげることが出来ないけど、その子がひらがなだけでも読めるなら、パソコンで紹介してあげられる。

 ちっちゃい子って、積み木を使って文字遊びとかするじゃん。そこでけっこういろんな、日常的な文字を覚えていくわけでしょ。積み木だったら自分で書かなくて済むし。でも、その子が弱視で積み木の文字が見えない場合は、パソコンだったら幾らでも文字が大きくできるし、もしその子の見やすい色が限られているとしたら、色なんかいくらでも変えられる。ユーザー補助でもいっぱいあるし、ちょっと薄い色でもちょっと濃い目の色でも、その子に合わせられるし、かなり広範囲で対応できる。

 確かに設定という角度からみると難しいところがあるけど、日常会話が出来るぐらいに手話とか覚えるよりは、簡単に手話を知らない誰とでも会話できるんじゃないかな。それはスゴクあると思う。学校によって、手話を使わない学校、口話で頑張る学校ってあるじゃん。そういうところを出た人でも、そうでない人とでも、共通で会話できるのがパソコンじゃないかな。点字を知らない人もパソコンを使えば手紙をやりとりできるし。今は携帯の時代じゃん。普段パソコンや携帯で文字を打つってことをしていると、会話の方法に困らなくなるって気がする。

 今は視覚と聴覚の話だったけど、肢体障害だとしたら、鉛筆を持つこともままならないこともあるわけじゃん。だからといって鉛筆を持つ努力をしなくていいとかいうこととは別にして、でも、鉛筆で書くというのが苦痛というか大変な人もいるわけ。ところが、パソコンならかなり使い物になるんじゃないかな。パソコンがそのまま使えないときにはパソボラの助けがいるけど。

 星野富弘さんは口に筆をくわえてかいているわけじゃん。星野さんは頑張ってあそこまでかけるようになったんだけど、もっと重度な人はいるわけだし、そういう人に同じことを求めてはいけないと思う。でもパソコンを使えば、まばたきで、とか色々あるんだよね。難しいけどね。その人にホントにあったものが見つけられるかは。

 選択範囲が広がるというか、あと、他人を介さないで思いを伝える事が出来るのが良いところだろうな。ほら、わたしが3チャンネルで録画した番組があったでしょ。外にいるときは文字盤で苦労して会話していたけど、家に帰ってからはパソコンでドドドっとチャットしていたのが、わたし的には驚きだった。それのお手伝いをできるのがパソボラなんだと思う。

 弱視の子でも、肢体不自由の子でも、パソコンで文字を大きくするとか、見えやすいように色を変えるとか、そんな環境で育てられた子って少ないわけじゃん。これはその子だけのことではなく、その親にとっても同じだと思う。誰かがパソコンを使って良かったなぁと思ったら、今度はその情報を伝えたくなるわけじゃん。そういう使い方があるんだって。そしたらもう、助けられたなぁって人は、今度は誰かに教えてあげようってなるし。

 「助けて!から助け手へ!!」っていうと、なんかカタイっていうかスゴイことをしなくちゃいけないみたいで、かたくるしい感じがするけど、自分が便利だって思ったことを誰かに教えてあげて、その人も便利だと思ったら、もうそれだけでいいんじゃないかな。もうそれだけで、「助けて!から助け手へ!!」になってるんじゃないかな。その何かのお陰でお母さんは洗濯ができるかもしれないし、誰かに手紙を書くことができるかもしれないし、本当に大変だからね。パソコンは時間を生み出す道具だと思うな。

 でも、やっぱ、いろいろ問題はあるからね。すぐ壊れるとか。はい、停電しちゃいました、とか、はい、雷が落ちましたとか、あるんだよね。でも、そんなときどうすればいいかって説明書には載ってないんだよね。だから、余計にワケわかんなくしちゃう。

 まずは、発売元がちゃんとやってくれるといいんだけどね。でも、現実やってくれてないから、そうすると誰かの助けが必要になる。画面や説明書が見えなかったら分かんないし。そうするとね。自分じゃ何も出来なくなって、ホコリかぶって置物化しちゃうから、もったいないよね。他にも問題いっぱいあるけどね。薬だと副作用があるように、何でも逆効果というのがある。それも対処しつつ、うまく尽き合っていけるようにすれば、パソコンはもう、ものすごーい発明だから。

 うん、単に便利だからといってパソコンをすすめるだけではなく、身近な地域の中にサポートできる人が必要だし、パソコンにハマることで起こるかもしれない二次障害のことまで考えてやんなくちゃいけないということ、だよね・・・とパソボラをしている親は相づちを打つのでありました。


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